

全国に流通して名声を博していた久留米絣だが、こちらもご多分にもれずその存続に暗雲漂う状態だという。
木綿糸を素材に、手くくりによる模様作りの下準備から染めて織り上げるという、まことに気の遠くなる作業を引き受ける織り元が減少の一途、残るはわずか数軒だという。和から洋という生活習慣の変化と言えばそれまでだが、しかしこうした手仕事による優れたワザが消滅するのは種の絶滅と同じ。ヒトの勝手な都合でかけがえのない物を永遠に葬り去るにひとしい。
世は「手間ひま」を悪しきものと見なして何でも機械化自動化合理化した。その結果モノから「愛着」が失われ、大量生産大量消費大量廃棄というおなじみの持続不可能の局面に立ち至ってしまった。
ヒトの第二の皮膚である衣料に関しても、莫大な数のデザインやサイズが続々投入されるわけで、わずか数回袖を通しただけで物理的に着られなくなったり、心情的に着る気持ちが失せたりするものばかりになった。自分のクロゼットを思い返してみると良い。高価だったので捨てるに忍びないという程度の廃棄物予備群ばかりでは?
"工房・藍木野"の吉田秀子さんは久留米絣の収集が始まりだったと仰る。コレクションが増えるにつれ、その技を絶やしてはならないという思いが強まり、需要を拡げるため洋服に仕立て始めた。はじめは下北沢の本多劇場の一坪ショップだったそうだ。着やすく、そしていつまでも飽きのこない愛される洋服を心がけた。その完成度と思いの高さや深さが、口うるさい業界人や婦人雑誌に評価され、多くの淑女たちの支持を集めるようになったという。
様子を身近でつぶさに拝見しているが、どれもワンサイズにも関わらず、どのような方が試着しても注文服の様にピタリとおさまるから不思議だ。経年による体型変化も吸収してしまう不思議さ、そしてそのドレッシーさエレガントさだが、間違いなく十年先でも不変であると確信する。お値段は決して安価ではない。しかし千百の流行服に優るわけで、こうした婦人服の存在自体が大きな驚きである。
「工房・藍木野 藍と久留米絣の洋服展」
会期7月24日から28日まで
10:00open/19:00close

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