2010年4月アーカイブ

 海峡には大きなうねりと白波が奔り、ハマナス植栽が激しく揺れる。もう立ってられないくらいの風だ。そんななかでも、信州函館人H田さん指定席ベンチには母娘とおぼしき先客があった。2人の向けてる視線の先には、昨日深夜座礁した貨物船が打ち寄せる大波に翻弄されていて、空にヘリが、そして巡視船も二艘、これまた心配そうに見守っていた。
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 石戸谷さんの作品はいつでも新鮮だ。それは言葉通り常に新鮮で決して見飽きる事がない。年々、月々、日々、時々刻々と、移ろい行くそれぞれの持つ意味や光や空気感が変化するわけだが、それに対応して石戸谷さんのステンドもそれぞれ異なった表情を見せる。何年も前から店主デスクの真っ正面ガラス窓に、六枚のステンドパネルが展示されてるのだが、四季折々、あるいは時間の推移といったものが加味されて本当に見飽きることがない。
 年に幾度か、石戸谷ステンドの新作を見る事が出来る。今年もその新作展が始まった。木々が新緑を纏い、小鳥啼き花々が一斉に開く時期...にはちと早いけれど、彼の新作「青い鳥」をぜひご高覧いただきたい。

石戸谷 準・ステンドグラス展「青い鳥」
4月26日から5月22日まで
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 先日はお立ち寄り下さいまして有難うございました。函館に寄せる想いなど沢山お聞かせいただきましたが、函館市民として嬉しいかぎりです。そしてこの度もまたバル街を十分楽しんでお帰りになった事と確信しております。
 早速ですが、その時にお問い合わせあった川真田弘さんの藍型絵染、多分この作品だと思うのですが、如何でしょうか?
サイズ 55㎝×38㎝
お値段 80000円

 23日にバル街が開催された。毎年春と秋開催で、すでに恒例行事となったけれど今回で13回目だ。最初は小規模かつ志高く始ったものだが、今や全国から自治体関係者が体験研修にくるほどになった。要は旧市街地という歴史的環境を舞台にした"飲み歩き"なのだが、とにかくたいへんな盛況である。
 そんなわけで、函館市民の何割かと同様、ギャラリー店主も呑んだアルコールたちの反撃を受けてダメージをうけてる。有り難いことにそれは二日も続いてしまった。遙々(はるバル...というコピーまである)横浜からのM馬さんや埼玉からやってきたS根さんとか、東村山のM田クンなどに対して本当に愛想無し...と反省しきりだし、"調理人I井さんとその夫人"や"むっくりもっこりグループの皆さん"そして"たますだれ南京小町さん""G島さん母娘"そのほかたくさんのお世話になった方々にお礼も出来ずにいる。
 今朝ほど、そうした沢山の反省やら申し訳なさ等を洗い流しに谷地頭市民温泉に出かけた。だからといってすべてチャラになったワケじゃないが気分はよろしい。ついでに立待岬に立ち寄ったのだが、ハマナスの木の芽が膨らみ、見上げたら空にはツバメが軽快に飛翔していた。
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 快晴無風で、春の気配が一気に近づいた今朝の函館だ。ギャラリー前に咲く春一番の白い花に誘われての久しぶり定点観測、ハリストス正教会まで出かけてみた。
 石段わきの椿の蕾を観察し、教会を間近に見上げるあたりに出たら修学旅行らしき一団が近寄ってきた。レンズ付きカメラを差しだしシャッター押しの依頼だ。教会の横景を背景にした無難な集合記念写真となったが、カメラを返しながら「修学旅行か?」と尋ねたらその通りで、それにしては早いなと思いつつ「どこの学校?」という問いに帰ってきた答えが音更中学校!驚き、おもわず自分のデジカメを構えて、シノヤマのごとく一歩近づいてとったのがこの画像。
 音更中学校の三年生か...!少年の名前くらい聞いておけばよかったが、50年前のムラオカ少年だと思えなくもない。襟元に輝くこのバッジだが、涙が出るくらいなつかしい。
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 合併で函館市にされてしまったけれど、椴法華(トドホッケと読む)という集落がある。津軽海峡沿い、活火山"恵山"を間近に眺める海辺のマチだ。元町から、ひたすら海峡を右手に眺めて一時間ほど、小雪混じりの風が吹くなかその椴法華を訪ねてきた。この23日に行われるバル街で提供するその食材さがしというのが名目だ。
 そしてもう一つある。この13日にわが友カワグチ夫妻のレストランSurfeSideが長い冬休みを終えてシーズンインした、その陣中見舞いでもある。今や北海道中からサーファーが押しかける伝説のチョーシ・ビーチだが、その発火元がSurfeSideなのだ。押し寄せるビッグウエーブに挑戦する若者たちの姿など眺めながら、そして精神を蕩かすN.キングコールを聞きながらギャラリー店主は"波乗りカツカレー"(800円だったかな?)など食してきた。少し走れば縄文温泉もあって...椴法華のSurfeSideはお薦めだ。

SurfSide店主のブログ http://pub.ne.jp/kawaguchi/

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 ギャラリー村岡の催しなのだが、ただいま渡辺万里・藤本秀・山田義明・藤田隆司・三宅紀保・本山和泉・藤原楽山・隠崎隆一・上中稻右衛門・中村豊・永澤仁・小笠原長春・佐藤和次・納富晋・篠原敬・中島一耀...という陶芸家たちの作品が展示されている。タイトルで紹介したとおり、あるコレクターが半生を費やしたコレクションだ。全国の産地に出向いて収集したもので、この匿名コレクター氏の目を吟味する楽しみもまたある。とりわけ、柴山勝に関しては質量ともに豊富で、これだけでも必見かもしれない。
期間4月20日まで
10:00open/19:00close
水曜定休
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東側建設中.JPG 函館生まれ、インドネシアのジャカルタ在住の知人からメール画像が届いた。年一度の里帰りでギャラリーにもお立ち寄りくださるのだが、その時に交わした約束を果たしてくれたのだ。マイナス30度にもなる北の開拓地に育った店主には、椰子の葉影に南十字星輝く南国"ジャガタラ"とか"バタヴィア"は憧憬そのもの、南蛮気配に彩られてるであろう都市の姿を知る絶好の機会だ。
 画像は知人の居住するマンション7階からの眺めである。東西南北それぞれからの画像が届いて、そのどれもがよく似た様子なのだが、少し留守にしてる間にすっかり変わる景色...とコメントもあったし、ドバイや上海あたりから名うての料理人たちが続々移ってきてるとも記されていた。思うに、これは天然資源と人口の豊富な国の都市に共通する姿だろう。世界中の有り余ったマネーが投資先を求めて彷徨う姿でもある。保存と開発に関する対立問題など知りたいものだが、どこでもマネーのエネルギーが市民的良識を圧倒するわけで、きっとジャカルタ知事もオリンピックや万博などの誘致を企んでるに違いない。今をときめくBRICSにはIがもう一つ加ったようだ。
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 Tムラ君の推薦する高村薫図書だが、もう一冊「閑人生生」の26ページに"地球は「美しい星」か"というのがある。途方もない廃棄物と莫大な借金を背負った日本国総理大臣が、はるばるインドまで出かけ、舌足らずの言語で「うちゅくしい星」とか言いつつ、地球温暖化防止を呼びかけたその愚かしさを揶揄したものだ。またその一部を引用させてもらう。
...グローバル化した世界経済のおかげで強者も弱者も同じ土俵に上がったいま、地球規模の環境保全どころか、発展と繁栄の権利の主張が世界を席捲する新たな世紀が始まったということである。ここには人類という視点はない。あるのは、どこまでも自国の繁栄だけを目指す視点であり、それは多分に権力の目線でもある。他国のために自国が我慢することをよしとする国民はいない。未来のためにいまの生活を我慢する人も稀である。それゆえに、ときどきの権力は己の栄光と保身のために、いまの発展と繁栄を優先させ、国民もそれを是とする。人類は、せいぜいその程度の生きものということである。思うに、繁栄の権利とは、未来より「いま」を取る権利である。そのことこそ人類の現実であり、温暖化はその生存形態の帰結だと考えてみる。巨大な大脳皮質をもつゆえに生み出した繁栄によって、自ら滅亡のレールを敷いてしまったことに是も非もない。人類はただこういうものだったというだけのことである。地球をいまさら「美しい星」と呼ぶ政治家の能天気に嘔吐しつつ、四十億年の地球の歴史に思いを馳せる...
 高村薫のこの2冊だが、今という大変な時代に関する多くの主張や警句が並んでいる。その鋭い切り口に触れると、あらためて我々が乗り組んでしまった舟の危うさに呆然となる。函館という地方都市ですら歴史資産を「子供達のために」と称して莫大な廃棄物と借金に変えて恥じないわけで、こうしたことを国あげてやってるわけだ。そうして積み上げた国家的負債が800兆円を超えるらしい。こうした美辞麗句など沈み行く舟にせっせとペンキを塗ってる様なもの、そのマヌケさ加減といったらない。さらに罪深いのは、安全な地へと導く役目のリーダーたちがそうした自らの言葉に酔い痴れてることだ。思うに、それは巧みに演じてる保身の術なのかもしれないし、あるいは本当のバカかもしれない。地球はもはや美しい星ではないし、子供達の未来などほとんど残っていない。いずれにせよとにかく困った状態であるのだけは間違いがない。
 画像は今朝7時15分ころの立待岬だ。少し早起きし、谷地頭温泉で温々したついでに足を伸ばしてきた。きらきら朝日を乗せた海峡から吹く風は紛れもなく春のそれではあった。
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 これはおそらく文明の進化というものなのでしょうが、文明の主が人間の心や理知ではなく、科学技術や貨幣経済になっているところに、現代の進化の特徴があります。
 本来ならば、人間がつくりだすさまざまな技術を使う前に、人間と技術のバランスを考えることが必要なわけです。ところが21世紀の社会は、おそらく行き着くところまで行く。科学技術の進歩は放っておけば誰も止めないですから、それに身を任せるとどうなるか。新技術は使い方によってはものすごく人類のためになる。けれども、人類のためになる技術の主は人間であるという限界を、きちんと人間の方から認識しておかないといけない。技術に人間が使われてしまうことになるからです。ところが、私たちは人間が主人であるということをやめつつある。
...と、先日Tムラ君が貸してくれた高村薫著"作家的時評集2000-2007"に書いてあった。Tムラ君は同じ著者の"閑人生生 平成雑記帳2007ー2009"や、堤未果著"貧困大陸アメリカ1・2"も貸してくれたのだが、さすが元ライブラリアン、その図書選定は見事で、どれも一気に読み終え、こうして至らぬ店主ブログの筋肉増量剤となったりするのである。
 取り上げた高村語録だが決して目新しい説ではない。多くの文明批評の定番だろう。だが、このところ店主のぼんくらアタマに巣くっていた「ロボット・トレーデイング」という概念と化学反応を起こした。つまり「私たち人間は主人をやめつつある」が「確信」となったのである。
 そのロボット・トレーデイングだが、これは資本主義経済の原点「投資」の究極の技術革新だ。膨大な資金力を持つヘッジファンドが、超高速コンピューターという金融兵器を開発してグローバル市場に乗り込む。マネーをもとめ、今や1万分の4秒というナノ的精度で、それも24時間休みなく攻撃してくるのだ。過去や未来、善も悪も、好きも嫌いもありゃしない、欲望はまさに人知を離れた次元に突入したということだ。通貨、株、債権、証券、商品などすべてが数字に置き換えら、上がろうが、また下がろうが、抜け目なく、洗いざらい、マネーとして根こそぎコンピューターにかすめ取られる事になる。イヤなら、こっそり近づいてモンスター・コンピューターのコンセントを引き抜き、あとは神に祈るしかない。
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