これはおそらく文明の進化というものなのでしょうが、文明の主が人間の心や理知ではなく、科学技術や貨幣経済になっているところに、現代の進化の特徴があります。
本来ならば、人間がつくりだすさまざまな技術を使う前に、人間と技術のバランスを考えることが必要なわけです。ところが21世紀の社会は、おそらく行き着くところまで行く。科学技術の進歩は放っておけば誰も止めないですから、それに身を任せるとどうなるか。新技術は使い方によってはものすごく人類のためになる。けれども、人類のためになる技術の主は人間であるという限界を、きちんと人間の方から認識しておかないといけない。技術に人間が使われてしまうことになるからです。ところが、私たちは人間が主人であるということをやめつつある。
...と、先日Tムラ君が貸してくれた高村薫著"作家的時評集2000-2007"に書いてあった。Tムラ君は同じ著者の"閑人生生 平成雑記帳2007ー2009"や、堤未果著"貧困大陸アメリカ1・2"も貸してくれたのだが、さすが元ライブラリアン、その図書選定は見事で、どれも一気に読み終え、こうして至らぬ店主ブログの筋肉増量剤となったりするのである。
取り上げた高村語録だが決して目新しい説ではない。多くの文明批評の定番だろう。だが、このところ店主のぼんくらアタマに巣くっていた「ロボット・トレーデイング」という概念と化学反応を起こした。つまり「私たち人間は主人をやめつつある」が「確信」となったのである。
そのロボット・トレーデイングだが、これは資本主義経済の原点「投資」の究極の技術革新だ。膨大な資金力を持つヘッジファンドが、超高速コンピューターという金融兵器を開発してグローバル市場に乗り込む。マネーをもとめ、今や1万分の4秒というナノ的精度で、それも24時間休みなく攻撃してくるのだ。過去や未来、善も悪も、好きも嫌いもありゃしない、欲望はまさに人知を離れた次元に突入したということだ。通貨、株、債権、証券、商品などすべてが数字に置き換えら、上がろうが、また下がろうが、抜け目なく、洗いざらい、マネーとして根こそぎコンピューターにかすめ取られる事になる。イヤなら、こっそり近づいてモンスター・コンピューターのコンセントを引き抜き、あとは神に祈るしかない。