強い風雨の吹きすさぶ土曜日だ。来客もなく楽しい週末ではないけれど、しかし心配していた終末も幸いまだのようだ。先日来再読し始めた池澤夏樹「楽しい終末」だが、間もなく読み終える。いま「あとがき」に辿り着いたところだが、そこにこう記されている。
どうもおかしなことになった、というのが今の実感である。ことのきっかけは、二十年ばかり前から世の中いたるところに蔓延していた悲観論、どうもこのままでは人間の世界は行き詰まるのではないかというまことしやかな論議への反発だった。そんなはずはないと思い、どこに間違いがあるのか知りたくて、いろいろな方面にその実情を探ってみた。インチキを廃し、嘘を捨て、確実なものだけを求めた。
悲観論はなかなか手強かった。誠実に論旨を追って行けば、確かにこの状況には抜け道がないように見える。悪い材料が多すぎる。筆を進めるうち、次第に自縄自縛という状態に落ち込んだ。書き上げた今、著者であるぼくは高手小手に縛り上げられ、カチカチ山のタヌキのように鴨居からぶらさげられている。お爺さんが帰ってくれば豆腐や菜っ葉と一緒にタヌキ汁にされてしまう。絶体絶命という心境だ。以下省略(文春文庫 「楽しい終末」392ページ)
ほぼ同世代で、出身も帯広ということで親しみを持つ池澤さんだ。そしてこの評論は20年以上前に書かれたもので、温暖化やオゾンホール、あるいはエイズや人口爆発など現在地球を覆ってるさまざまな不安や恐怖について語られてる。極めつけは核に関するものだ。もちろんフクシマ事故の遥か以前のことなのである。
決して予言の書などではない。あとがきにもある通り、世界に漂い始めた悲観論を論破したく始めたものだろう。しかし知れば知るほどその危機は深くて重いことを知らされ、結局池澤さんは「楽しい終末」と笑うしかなかったようだ。