2011年12月アーカイブ

1926年製のスタンウエイだ。象牙の鍵盤や黒檀透かし彫りの譜面台など名器の名に恥じない風格である。多くの優れた演奏や拍手をたっぷり吸い込んでこその名器だが、ここ函館の黄金期を生き延びてきたスタンウエイなのでもある。その名器の余生を過ごす場所を探している。興味ある方はどうぞご連絡いただきたい。DSC_8391.jpg

 イブの翌日が本クリスマスだ。そこで朝食の後、移動広域定点観測に出かけてみた。二十軒坂を下がりながら東別院を眺め「やまじょう」(何と早朝から営業してた!)でメリークリスマスと珈琲を一杯。元気に大三坂を登り、カトリック、ハリストス、ヨハネという順に巡ってきた。カトリックからハリストスに向かうあたりで丁度10時、一斉に鐘が鳴り渡った。今日は日曜日でもあり、信者さんたちが大勢参集しておいでだ。
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 教会群を一巡り。いつものコースでも流石にイブの夜、人出も多くひと味違う近隣散策でした。メリーな年ではなかったけれどせめて今夜は画像も大判振る舞い、どうぞ函館のイブをご堪能ください。
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 昨夜来の吹雪も止んで、今はとてもおだやかな函館だ。イブということもあり、多くの人が行き交う元町である。ギャラリーにも秋田の幼稚園先生のご一行や、八戸や遠く山梨あたりからのカップルなどがお立ち寄りで、久しぶりに仕事熱心の店主であります。今夜の教会あたりの様子もご紹介したいものと考えてるのだが、しかしどうなりますやら...当てにしないでご期待ください。
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 全国的に荒れ模様らしい。ここ函館も吹雪に見舞われている。見慣れた景色も瞬間的にホワイトアウトとなり、道行く観光客もフードに顔をかくしながら必死でガイドさんの旗を追って行く。店主はぬくぬくヒーター前で、今夜の晩酌の夢などをうつらうつら。舞う雪の彼方の鐘楼がライトアップされたらまるで夢のようで、それさえあれば酒のつまみは要らないほどだ。
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 S根さんは埼玉在住函館ファン。いつもお嬢さんと二人でやってくる。「もうかれこれ40回近くになるかもね」などと事も無げに仰る。しかし今日はご主人との二人旅で、誕生祝いを函館でと急遽やってきたとか。お二人とも12月生まれというわけだが、それにしても六本木にでも出かけるみたいな乗りだ。正直言って羨であり望である。
 S根さんはT村君の力作函館の美味カレンダーを買って行かれた。季節の素材と、それを用いた料理が12人のシェフとともに紹介されてるわけで、来年はきっと料理に誘われ毎月やってくる事になるのかも。
 画像はロシア教会の午後3時。曇り空から小雨が降り出したが、窓の向こうに明るく灯ったシャンデリアが見えた。そろそろ賛美歌の練習が始まるのかも。
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 今年はお休みかと思っていた例のヨハネ教会電飾、先ほど確認のため出向いたところ静かに点滅いたしておりました。しかし例年は青一色なのですが、今年はノーマル...というか、標準色というのか、とにかく二色体制になっておりました。きっと前のが故障で、新品と交換したために遅れたのかもね。ご感想はいかがですか?
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 午前中は暖かかった。しかし午後からの空気はキーンと冷えきって、道行く人も首をすくめて急ぎ足。こういう日には氷柱が成長するようで、見ればお向かいの骨董店の屋根には行儀よく氷柱が並んでいる。店内には幾度かお邪魔したが、この時期には時代に磨かれた美しきモノ達に囲まれて鋳物製薪ストーブが活躍している。本日の、ぽかぽか陽気の産物なのか、あるいは薪ストーブの熱に育てられたものか、とにかくなかなか粒ぞろいの氷柱が並んでいる。見れば張り紙があって、そこには達筆筆文字で「頭上注意」とあった。
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 信州函館人H田さんの好きなヨハネ教会ツリーを撮りに行ってきた。左手に函館山が黒々とそびえ立ち、照明の当たったロシア教会を背景に、仄かなブルーの電飾が点滅する様がH田さんのお気に入りだ。騒々しくて目立ちたがりばっかのこの時期、静かで控えめなその様子が彼の心を強く捉えたに違いない。言われて店主も納得したものだ。
 しかしその電飾、今年は出番がないらしい。nikon構えてしばし待ったが、雪をかぶったトドマツは黙したまま。自然に還ったみたいだった。そこで代わりに牧師さん宅前のツリーを撮ってきた。函館の町並みやカトリック鐘楼が輝き6時になれば花火もあがる。そうそう今夜そこの巨大ツリー会場には弘前巨大アップルパイご一行様がお見えのはずだ。
 表と裏、そのどちらも魅力的なのが函館...と言ったら褒めすぎかな。
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 函館、このところ毎日が雪景色だ。想像力の枯渇した店主ではあるが、そんなわけでブログもマンネリ報告となる。しかし同じ景色は二つとないわけで、ここは、積雪量とか雲の形とか空気感などなど、どうか皆様は大きな想像力を注ぎ込んで「同じに見えてもどこかが違う」そんなサムシングを見い出してほしいと切に願う次第。
 話は全く別だが、フクシマ原発で原子炉がメルトダウンし、未だ溶けた燃料の様子も確認出来ないし放射能も相変わらず漏れ続けてる。それにも関わらず、この国の総理大臣は「冷温停止状態に達し、事故収束に至ったと判断した」との声明を発表したらしい。ちょっと待ってくれ!そうした状況が一日でも早く訪れるのを祈るがごとく待ち望んでるのが我々国民だ。そしてそれが極めて前途多難であろうことを感じてもいる。それなのにと言おうか、それだからなのか、とにかくこの声明は理解に苦しむ。善意に解釈すれば心配させぬための配慮とでも言うのだろうが、所詮政官合作の茶番劇、事故前の「絶対安全神話」もだったが、事故後の「収束宣言」も何ら合理的根拠のない無責任なデマカセではないか。現実を無視すればどんな創作だって可能なわけで、何と底の浅い見え透いた声明である事か。
 神妙なユトリロ気分で始まった朝だったが、なんとも粗末な国に住んでるのを実感させられる日の暮れだ。
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 朝9時にはこんなにも晴れ渡ったぽかぽか陽気。しかし午後からの函館はずっと雨模様でした。時折ミゾレ状態もありましたが、とにかくしとしとじめじめの曇った一日。こんな日は口も重く言葉も出てきません。
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 新雪。朝食の後、高みの観測地に出かけたけれど、いつもの30メートル手前の場所から撮ったらこうなった。いつもの場所ならカトリックの鐘楼が左端になるのだが、これはこれでまた新鮮な構図だ。整地され「売り地」の案内が立っていたけれど、こうした景色を独占出来る場所でもあります。
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 函館が徳川政権直轄地だったころ、つまり開港以前だがここに南部藩が陣屋を構え、300人からの藩士が詰める事になった。ロシアの南下政策に備えてのことらしいが、とにかく彼らがこの地で越冬するのは初めてのことで、結局過酷な寒さと野菜不足のせいで壊血病を患い、相当の犠牲者が出たと記録にある。
 その陣屋があったのがロープウエイ駐車場のあるこの南部坂のあたりだ。いつも似た様な夜景を見せられてる皆様には「またか」だろうが、とにかく江戸末期に、若い南部藩士が飢えと寒さを抱えながら見上げたであろう月を今夜も眺める事ができるのであります。
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 函館は開港都市だ。横浜や神戸、長崎、新潟や下田だってそうだ。鎖国を解いて和親や通商といった条約を結び、異国船の来航を許可されたのがそれら開港都市。しかし、同じ開港都市とはいえ夫々には微妙な隠し味がある。長崎にはオランダが、神戸や横浜には英国や米国の、そしてここ函館にはロシアの香りが漂う。かなり前であるが、色彩文化研究のフィールドワークで訪れたお宅で、ロマノフ王朝国債の分厚い束を見せられた。きっと亡命ロシア人が持ち込んだのであろうが、この都市に刻まれた記憶の一端が好ましく思い出される。また、谷村志穂さんの小説「黒髪」に描かれた恋愛の記憶というのもあり、行き交う人の瞳のなかにそれがあったりしてドキリとさせられる。
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 沖縄からだという若者が立ち寄ってくれた。皮製サンダル制作が仕事で、国頭郡に工房をかねたギャラリーを持ってるという。出身は大阪なのだが美しい海にほれて移住を決意、沖縄に骨を埋める覚悟だともおっしゃる。50年近く前、鹿児島から沖縄へ30時間の船旅を経験してる店主だが、さっそく彼を珈琲でもてなし沖縄の近況など聞き出す事にした。
 彼は5年になるというのだが、この311以来、本土からの移住者が目立つという。彼のショップでお手伝いしてる女性も家族で移住してきた組で、父親が脱サラして千葉で有機農業を始め、ようやく土つくりが完成したところに放射能が襲ってきた。夢も希望も投げ捨てて即脱出して沖縄に辿り着いたらしいのだが、何とも惨い話である。店主もこの夏、東北からやってきた幾人かの脱出組の方々を思い出し重ね合わせてみたのだが、この国のおかれた過酷な様相が鮮明に浮かび上がった。
 画像は今夕5時の月下の函館だが、もちろん沖縄や千葉やフクシマや仙台などでも見える月。それぞれどんな想いで眺めてるだろうか。
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 午後6時に花火があがる。函館ではこの時期クリスマスファンタジーなるイベントが催され、その一環として花火があがる。場所はベイエリアの巨大海上クリスマスツリーのあたりで、時間にすればほんの一瞬、しかし25日まで毎日あがる。
 ギャラリー内部からもガラス越しに花火は見える。ぼんやり読書してるとバチバチという音で6時を教えられるのだが、今日はその姿を画像におさめるべく二十軒坂で6時を待った。街路樹電飾とともに、その彼方に上がる花火を皆様に紹介しようという魂胆だ。
 これがその画像である。どでかい大きなのを一発...を待ったのだが、これで終わってしまった。ざんねん
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 時代に磨かれた重厚な町並み、そこに雪が降ればまた普段とはひと味違う表情を見せてくれる。横浜だって神戸だって雪は降るだろうし、大雪の降った長崎にも出会ってしまったことがある。しかし棕櫚や蘇鉄に積もる雪というのもへんなもので、雪景色にもやはりそれなりの調和というものがある。画像は今朝の元町だが、何度もここで書いたけれど、やはりユトリロの名前が口をついて出る。
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 今日一日、とても強い雨風が吹き荒れていた。そんななか、大柄なN良サンが風の又サブローみたいにやって来て「台風の目みたいですよ!」という報告。どれどれと玄関先から見上げたら、なるほど厚い雲が溶けたように流れてぽっかり青空がのぞいてる。視線を市街地方面に移すとうっすら虹が見えた。
 強風をかき分けながら、定点観測地いるかビルまで出向いて撮ってきたのがこれだ。江口先生の眼科病院あたりから大きな弧を描いてる虹、みえますか?
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 強い風雨の吹きすさぶ土曜日だ。来客もなく楽しい週末ではないけれど、しかし心配していた終末も幸いまだのようだ。先日来再読し始めた池澤夏樹「楽しい終末」だが、間もなく読み終える。いま「あとがき」に辿り着いたところだが、そこにこう記されている。

 どうもおかしなことになった、というのが今の実感である。ことのきっかけは、二十年ばかり前から世の中いたるところに蔓延していた悲観論、どうもこのままでは人間の世界は行き詰まるのではないかというまことしやかな論議への反発だった。そんなはずはないと思い、どこに間違いがあるのか知りたくて、いろいろな方面にその実情を探ってみた。インチキを廃し、嘘を捨て、確実なものだけを求めた。
 悲観論はなかなか手強かった。誠実に論旨を追って行けば、確かにこの状況には抜け道がないように見える。悪い材料が多すぎる。筆を進めるうち、次第に自縄自縛という状態に落ち込んだ。書き上げた今、著者であるぼくは高手小手に縛り上げられ、カチカチ山のタヌキのように鴨居からぶらさげられている。お爺さんが帰ってくれば豆腐や菜っ葉と一緒にタヌキ汁にされてしまう。絶体絶命という心境だ。以下省略(文春文庫 「楽しい終末」392ページ)
 ほぼ同世代で、出身も帯広ということで親しみを持つ池澤さんだ。そしてこの評論は20年以上前に書かれたもので、温暖化やオゾンホール、あるいはエイズや人口爆発など現在地球を覆ってるさまざまな不安や恐怖について語られてる。極めつけは核に関するものだ。もちろんフクシマ事故の遥か以前のことなのである。
 決して予言の書などではない。あとがきにもある通り、世界に漂い始めた悲観論を論破したく始めたものだろう。しかし知れば知るほどその危機は深くて重いことを知らされ、結局池澤さんは「楽しい終末」と笑うしかなかったようだ。
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 イスラエル対イランが風雲急を告げてるらしい。今朝なのかあるいは一昨日なのか、イランの、それも核施設がイスラエルによって爆撃されたという。それ以前にはイランの英国大使館に騒動がありそれに英国のイラン大使館が報復した。英国とイスラエルは映画「栄光への脱出」に見られる様にたいへん緊密な関係にあるのだ。で、その連鎖はシリアや中国、あるいはロシアに及んで、もちろんアメリカ艦隊も当然のごとく出動中。まさに核兵器をちらつかせたWW3が目前に迫っているというわけだ。
 ユーロ圏の経済破綻連鎖が発火点で、世界恐慌というのが現実味を帯び始めていた。恐慌の行き着く先は戦争というのが通り相場で、思えば今度こそは核兵器使用も決してブラフじゃなさそうで、どうやら愚かな人類の描く愚かなシナリオが現実になりそうじゃないか。店主、昨日から池澤夏樹「楽しい終末」を再読し始めたのだが、この週末までに読み終えられるだろうかそれがちょいと心配だな。
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